
塗装方法を知ろう (1)
③ 塗料の塗り方を分類すると
塗料・塗装の歴史を紐解くと、「人類は塗装が好きだった」ことがわかります。元来、人間は「表現したい」という欲求を持っている生物です。色については、特に赤い色は神聖視され特別な思いがあったと思われます。BC15万~6万年にかけての旧人類ネアンデルタール人は赤土(酸化第二鉄)で身体彩画をしていました。アルタミラ、ラスコで発見された壁画からもわかるように、色彩を付与する鉱物(顔料)や植物(染料)を発見し、これらを粉砕して油や樹脂液に入れたら上手く塗れ、素地(素材)にくっつくことまで経験から学んでいたようです。塗って、乾いて、くっつくという材料を意識して探したわけではなく、狩猟した動物の血や、皮をはいだ後に残る油、これらは煮立てると集めやすい。日常経験から膠(にかわ)、ピッチやタールなどが塗料になったと思われます。古代人に、どうやって漆(うるし)を見つけたのか聞いてみたいものです。恐らく、「そこにあった液体をいくつか使ってみて、その中で、これがvery goodだった」とか、「これはかぶれて困ったよ」、「煮たらこんなに粘くなって塗りやすくなった」とか、日常会話が弾んだのであろうと、想像するだけでも楽しくなります。
“表現したいという本能”はフレスコ画、油絵に発展し、乾く油の発見と植栽が産業革命と一緒になって、一気に油性塗料に発展しました。でもやっていることは、古代人と全く変わりません。石ころから色の付いた鉱物を取り出して有色塗料であるエナメルを作りました。すでに油絵の具を作っていたから、スケールアップするだけで、油性調合ペイントを作り上げたのです。

塗るものはどんどん増えるが、乾性油を重合してボイル油にしても、まだ乾きが悪い。化学反応の得意な者がいて酸化重合を促進させる触媒を見つけて、儲かったことでしょう。錬金術で「石ころから金」を作ろうと考えている学者や策士が一攫千金を夢に見て、生きて居た時代です。何でも作れると思ったことでしょう。資源を獲得するために、火薬、ダイナマイトの開発に突き進むことはごく自然なことでした。
第1次世界大戦後に爆薬の平和利用でニトロセルロースが塗料分野に供給されました。木綿の繊維と同じ高分子物質が有機溶剤に簡単に溶けて、塗布後30分程度で、乾燥塗膜になるのです。約1日経たないと乾かなかった油性塗料とは雲泥の差です。速乾性だとはけ塗りができない。そこで考えられたのが塗料を霧状にするエアスプレーガンの発明です。液体と気体を混合すると紐状になり、空気量を増やすと、細かな霧になったのです。ニトロセルロースを原料にする速乾性塗料はラッカーと呼ばれ、エアスプレーガンと相まって、ラッカー時代がアメリカから始まったのです。もちろん、車を塗るためです。
日本では1930年に岩田製作所(アネスト岩田(株)の前身)がエアスプレーガン、エアコンプレッサーなどをラインアップし、ラッカー時代が到来しました。工場での製造ラインに塗装ラインが併設され、工業塗装と呼ばれる分野ができました。鉄鋼の生産量の増加は工業立国を目指す日本の原動力になり、ラッカー塗装では塗装に要求される性能を満たすことができなくなりました。そこで登場したのがメラミン樹脂系の焼付け塗料(アミノアルキド樹脂焼付け塗料、1948年上市)で、塗装ラインには図2-13に示すように、自動ガンと静電塗装装置が導入されました。乗用車程度までは焼付けラインで対応可能ですが、新幹線車両クラスでは、焼付けを要しない塗料が必要になりました。このように、塗料と塗装工業は1950年以降、急速に発展して行きます。
以上、大雑把に塗料と塗装方法の変遷を述べました。この要約を図2-13と図2-14に示す塗装方法の分類に示します。


塗装方法の大分類は、液体塗料を液体状態で塗布するか、霧にしてから塗布するかの2つです。エアスプレーガンでは霧になった塗料のうちくっつかない塗料の方が70%程度と多くなります。被塗物に付着する割合を塗着効率で表示します。塗装方法と塗着効率を表2-1に示します。

エアスプレーガンの発明は画期的でしたが、大気中にPM2.5の原因物質であるVOCを放出することになります。この対策法として静電塗装装置が発明されました。VOCを完全にゼロにしようと言う事で図2-13に示すように粉体静電塗装装置も開発されました。
〔引用・参考文献〕*2章通し番号
坪田実:“ココからはじめる塗装”, 日刊工業新聞社, p.8-27 (2010)
2) 坪田実:“トコトンやさしい塗料の本”, 日刊工業新聞社, p.51 (2008)